のじゅかー旅行記

第1回野宿周遊旅行 in 秋田

参加者
RON
中川
A某

期間
1996.7.31〜8.5

1日目

 新宿駅西口に21:30集合。中川とA某とで出発。中央線快速に乗って神田で山手線に乗り換えて北の玄関口・上野まで行く。
 ホームで最初で最後のスリーショットを撮ってもらう。ちょっと恥ずかしい。
 そして臨時急行「八甲田」で一路東北へ…。

2日目

 翌早朝、くもり。寝台ではなく座席だったのでちょっと体が痛い。
 夜行列車を降りて北上駅で北上線に乗り換え、1両編成のディーゼルカーで大曲(おおまがり)へ向かう。
 さらに通勤通学ラッシュの電車に乗り換え、秋田へ向かう。
 「東京はもちろん、広島にもそして秋田にもラッシュがある!」
 3人分の大きな荷物で邪魔者になりながらも、幸い押し合いへし合いというほどではないので少し救われた。

 秋田駅に着き、足りない資材を調達しようとコンビニを捜索するが、ちっとも見つからないので通りすがりの女子高生にヘルプを求めてみる。
 女の子「・・・・・・。」
 あれ?無いのかなあ。次に戯れるカップルに突撃。
 「えっ?あぁ〜」と言って駅ビルの方を指さす。
で、駅ビル周辺を捜索するが1軒も見つからない。我々は、「秋田にコンビニは無い!」という結論に達した。短絡的にも程があるが。

 しかし、そんな風にのんびりとする3人に待ちかまえる試練は想像を絶した!!

 一行は男鹿半島へ突入。男鹿線の脇本駅で降りて、第一目標の寒風山を目指す。
 「るるぶ」を見る限りでは丘みたいな山なので楽勝だな、と思いつつ私は荷物を背負って早くも5分でひぃひぃ言ってるのでした。初めてのバックパックは辛かったのだ。
 そして田園地帯を歩くこと約20分。道は勾配を帯びてきて…。
 「おお?なんか、るるぶの表紙の写真と違う〜。ゼェゼェ」
 「ゼェゼェ……」
 天気は曇り模様から小雨に変わり、無言のまま歩き続ける3人は数回の休憩をこなしながらついに!
 数軒のみやげ物屋と駐車場へたどり着いた。
 「はぁはぁ、ここがてっぺん?回転展望台はどこ?(←意識朦朧)」
 「あっ、るるぶの写真(の景色)だ。ということは…」
ということで、実はそこがスタート地点だったんですね。
 観光地特有のみやげ物屋おばさん達の「こっちおいで攻撃」をかわして、半分意地で第2ラウンドに挑みます。
 濃い霧が出て視界は30m以下だし雨も落ちてくるし車はがーがー走ってるし泣きたくなったけど、頂上に着いたときには嬉しくてやっぱり泣きたくなりました。

寒風山
バスで行けなかった。

 頂上付近にはバス停があったが、どうも路線は廃止されてしまったらしい。道路は貸し切りの観光バスと自家用車ばかりで、歩いている人など一人もいない。
 回転展望台に登るも、霧で視界ほとんどゼロ。記念撮影用のなまはげさんがいたけど、500円取るっていうので貧乏旅行の一団は断ってしまいました。でも一緒に撮って貰えば良かったなぁ。
 なまはげ(の格好をした人)さんもテレカ売りのねーちゃん2人も暇そうで、大変ご苦労だなぁと一同、疲れの余りか涙もろくなっていたのであった。
 で、下山は約6kmを脱兎のごとく駆けて、あっと言う間に麓まで戻ってきました。もうヘロヘロで足はカクカク。
 そしてヘロヘロ3人組はバスで桜島野営場へ向かいます。
 誰もいない寒風山展望台から男鹿半島北西の入道岬へ向かった一行が加茂という小さな集落へバスで到着したのは日も落ちた午後7時ごろ。

バス停
入道岬付近のバス停で、にこやかなA某と自失状態の中川。

 ついにA某に「ホントは野宿」だということを告げるリミットに達した。その旨を告げるとA某の顔色はみるみる変わり、抗議の言葉を口にした。
 これがどういう事なのかを説明すると
  RONと中川は共謀して、A某を騙した。
  というのも、秋田に野宿旅行するのに、2人じゃーつまらんし荷物持ちは多い方がいいだろうということで、それぞれの友人を誘うがことごとく失敗。
  「…みんな(野宿)旅行キライなんかなぁ。」イヤ、ほんとに。
  そこで、「真面目一徹、人を疑うことを知らない」A某を緊急動員することに。
  最初に「野宿あり計画」を見せて交渉したところ、野宿じゃイヤだと言うので「偽装野宿無し計画」をでっち上げて交渉し、ホテル3泊を条件に秋田行きを承諾させた。更に、RONは予約してないホテルの電話番号までも教えたのだった。
 こんな事をすれば怒るのは当たり前だが、「男は野宿だ!」というスローガンのもとに曲がったジャンボリー精神に支配されていたRONは意に介さなかったのだ。無論、中川も面白がっていたのである。

 さて、真っ暗なので泊まる予定の桜島野営場を急いで探す。当然予約なんてしていないのだ。道路脇の谷間に廃屋群らしきものがあるのでもしかして…と懐中電灯を片手に恐る恐る近寄ってみると、人の気配がない。めっちゃ怖い。廃止されたものだと判断して露天風呂と水道の確保をあきらめる。

 と言うわけでもろもろ一悶着あったもののその場は収まり、蚊取り線香をもうもうと焚きながら、なにがしという男鹿半島出身の力士の記念碑の下でなんとなく不気味な日本海の漁り火と強烈な海風と共に一泊目の夜は更けるのであった。

A某
新聞紙まみれ。

3日目

 寒さでガチガチに震えながら3日目の夜は明けます。東北の夏を知らない一行は「夏なのに寒い!」とうなりながらその場を撤収し、再びバスと列車で秋田へ戻る。
 そしてアクシデントが!
 秋田駅の店で昼食をとることになりうどん屋に入るが、体調が悪いと訴えるA某。食欲が無いんだったら素うどんか何かにしておきなよという声もよそに豪華ざるそば&うどん定食天ぷら付きを食べてしまったので、問題ないと思っていたところ、
 「もうだめ。東京に帰る」
とのことなので東京に帰してしまう。
 「きのう、『僕って本当は野宿好きなんだよ』って言っていたのは…」
 「やっぱり芝居だったよな…」

 ともかく旅行中最大の事件は過ぎ去り、残った悪者2人はその足で田沢湖の近くの温泉で体を流すことに。

 一風呂あびた後、何となく気力も流されてしまったのかタクシーでキャンプ場へ向かった。タクシーかよ。全く貧乏旅行の精神から逸脱しています。曲がったジャンボリー精神のなれの果てです、みなさん!

 しかしながら到着した頃には既に辺りは暗くなっており、ダラダラと行軍していたらもっと悲しいことになっていたに違いない。曲がったJ精神も時に身を救うことになるのだ。

 そして、1000円払って野宿2日目です。受付で「テントは?」と聞かれたので、「あー貸しテント料金を取られるのはヤだなー」と思って「自家用ので」って言ってしまったので「んじゃあ、夜、警備の人が見回りに来るからこの契約書見せてね」って言われたときには「やべー」と…。テントなんて無いからね。

 で急遽テントの体裁を作るために木と木の間にロープを張り、ビニールの黒いゴミ袋を吊るして「あー。暗がりならこれで怪しまれずにすむねー」なんて思っていたら、翌朝に中川が「おーい、管理人がさっき通っていったよ。バレバレじゃん。」「わー、マジかよ!」何やってんだ。  なんて言ってるうちに、にこにこ顔の管理人さんが怪しむ風でもなく領収書を持って来て何事もなく去っていきました。夜明け直後に、もうテントはたたんだと思ったのでしょうか。まあ、悪いコトしてるわけじゃないのでビクつく必要はないわけで。

4日目

 その前の晩は薄暗い灯り(光量が小さい白灯油ランタンはメインとして使えないことを悟った。)の中で飯を食い、花火をしてみたりするのだが2人しかいないというのは大変寂しく、キャンプ場のどこかで団体が合宿でもしているような楽しそうな声を聞くといっそう侘びしくなるのであった。
 2人は田沢湖畔まで歩いていき、夜の寒さと昼の暑さの差にやられてしまった私は道路を横断中の毛虫をじっと見つめて
「頑張って早く渡れよ。ひかれちゃうじゃんかー。」
なんて言う始末で、もう終わってました。

たつこ像
悲劇の少女 たつこ

 遊覧船で田沢湖(いやあ綺麗だった)の対岸まで渡った2人は、かの酒どころ湯沢まで行き私は酒をたらふく買い込むのであった。
 その後バスで栗駒温泉まで行き、岩からごーごー吹き出す湯を観て自販機のそばのベンチでごろ寝。やっぱり寒いのだ。

5日目

 翌日は大雨で鉄道ダイヤが大混乱に。さすがに連続4泊目の野宿はイヤだというので、暗澹たる状況に。
 普通列車を乗り継ぐ予定だったが急遽特急券を手配。そして深夜わずか数分差で夜行に乗り換え、翌日新宿へ到着し、調布で解散となりました。


 初めての野宿旅行だけにイレギュラーな出来事が多発し、反省点も多く残しました。自分だけ寝袋を持っていってごめんよ!


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