RON | 「RONの六法全書 on LINE」Webmaster。 司法書士受験生。身分は一応大学生。 |
EPSONZ | 「秋葉原CD−Rメディア価格調査」Webmaster。 正真正銘、大学院生。 |
前置き | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小学校以来疎遠だった自転車を千歳烏山で購入したのが1999年の2月。 (前年に原付免許を取ってみたけど、試験場で一度乗ったきり。何だか怖くてさ…。) 「東京は平坦だから遠くまで行けるなあ。便利だなあ。」と意味もなく川口やら立川やら神保町やらあっちゃこっちゃ乗り回して嬉しがっていた(バカ?)。 そして、一体どこから仕入れてきたのか覚えていないけど、とにかく夏に北海道でママチャリの耐久レースがあることを知ったのが去年の秋。命知らずなRONは、この12時間耐久というウソみたいな長時間レースへ出場することを心に決めた。 以来、猛烈なトレーニングを特にするわけでもなくダラダラとチャリンコを駆っていたわけ。 (一度、相棒と山手線一周をしたけどその頃は自転車用の足ができていなくて、疲れるわ、足がつるわで大変だった。そう言えば、その相棒と炎天下歩いて一周しようとしたこともあったけど、新宿から内回りで東京まで行ったところでギブアップした。ホント体力ないのな、俺って。) そして2000年6月。「そろそろ募集開始してるかな。」と事務局に電話してみると、「あと数日で締め切りますよ。」と!「オー、目測違い!ヤバい!」 あわてて相棒と協議して、参加を決めた。チーム名の決定や自転車の運搬方法など課題は多かったが、以下の記事(日記)を参照されたい。 6月17日「ままチャリ。」 6月18日「チーム名問題のその後。」 6月19日「昨日の続き。」 7月4日「実測値。」 7月6日「新車。」 7月12日「軋轢は確かにあった。」 7月27日「予行演習の顛末。」 7月31日「そろそろ準備しろ。」 分かりにくいですか?うん。まあ色々あったんだなあという雰囲気を分かっていただけたらそれでいいです(内輪向けの日記なので、分からない単語が所々で出てきますが、当サイトをくまなくご覧になれば意味は分かるはずですけど。)(追記:日記ページは非公開にしました。いずれ内容をここに転記します。) ということで、出発だ! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1・2日目(東京・札幌) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1910 上野駅で相棒と合流。相棒はTOEICの勉強を始める。う〜ん。仕方がないので前日に買った情報2種の本を読む。 2153 水戸駅着。バスに乗り換えて 2244 大洗港着。本なんて読んでられっか!チェックインしてビールを買うぞ。飲むぞ。 2300頃。な〜んか待合室に人がいないなあ。もうみんな乗ってるの?乗ってるじゃん! 2359 出航。あっという間にビールを2缶か3缶空けてクダを巻く。例によって記憶一部脱落。2等寝台で寝る。 朝。すっごく人がいる!冬のフェリーは十数人しか見かけなかったのに、さすがに夏は家族連れやら何やらたくさん乗るらしい。100〜200人はいた。カルチャーショック!(←間違い。) 昼。ちょっと酔ったので薬を飲んで寝る。船酔いって辛いなあ。 三陸沖。 デッキチェアでお昼寝。 喫煙所のモニター。 夕方。治る。夏の海は穏やかで、冬の荒天と比べると雲泥の差だ。 2000 苫小牧に定時入港。接岸前に運良く花火大会があったらしく、花火が綺麗だった。みんなデッキに出て見物をしていた。 2015頃、フェリー客専用バス(夏季限定)が札幌へ向けて出発。 2145頃、札幌駅着。タクシーで相棒のお父さん(単身赴任中。偶然 with お母さん)の家へ。RONは人見知りするのでちょっと(かなり?)居づらいな。野宿の方がいいや。 相棒が「飲まん!」と言うので静かにビールを2、3本だけいただく。どうもRONの飲酒姿勢に少なからず反感を持っているような気がする。 藤「晩酌(飯と一緒に飲む)ならいいけど。」 R「(昼間っからは飲まないけど)暇なら酒。」 やっぱり違う。でも旅行なんだし…。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3・4日目(帯広) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
0800 札幌中央BTから高速バスで帯広へ向かう。 1200 帯広駅前着。長崎屋で食料(糖分重視)を買い込む。あっ時間が無い!走る。 1230 上更別方面(広尾行き)の路線バスに乗る。間に合った…。 1330頃 十勝スピードウェイまで約4kmの道のりを歩く。20kgのバックパックは辛いぞ。 ものすんごいスピードで車が走ってる。80km/hくらいは出してるんじゃないか?歩道が無いからかなり怖いぞ! 1430頃 やっとこさ到着。小雨が降り出す。気温も涼しいと言うよりも少し肌寒い。な〜んかイヤな予感がするのである。 予め日通のアロー便で送っておいた(東京都調布から 11495円。)自転車を受け取ったり、エントリーの手続きなどをして準備を整えていると開会式が始まった。 だんだんと雨が強くなる。こ、これは…。 レース開始直前の EPSONZ氏。 ところでこのレースは、1チーム当たり2〜6人のライダーが12時間をこぎまくって周回数が最も多いチームが優勝なのであるが、その計測はどのように行うのだろうか。ヒトが指折り数えるのだろうか? いやいや、自転車に発信器を取り付けておいて、スタート地点に設置されたセンサーを通過することによって自動的に計測されるのだ。う〜んハイテク! さてさて、予定より15分遅れの 1715にレースはスタートした。 スタート位置はポールポジションこそ逃したが、3列目という絶好の位置をRONが抽選で引き当てた。 そして栄えあるスターティングライダーは、相棒が気を利かせてくれてRONとなった。 スタート5分前にスターティンググリッドに整列すると雨は土砂降りとなった。 ファンファーレが鳴り渡り、カウントダウン 30秒前…15秒前(うう武者震いが。)…そして各馬、じゃなくて各車一斉にスタート! うおおおお、すげえ!猛烈な勢いのマシンが、もの凄い数で後ろから襲ってくる! 待て待て、耐久レースだ。しかも我が「Blue wing」は2人しかいないのだ。ここで体力を消耗しては…。身を固くしてマイペースで嵐が過ぎ去るのを待つ。 が、いかんせんスタート直後はみんな興奮の余りハイペースな展開となり、それに引きずられて1周(3.4km) 7.5分ペースでやってしまう。ウェットな 20Rを高速でクリアしたときはゾクゾク来た。 そしてあっけなく3周で相棒にバトンタッチ。 う〜ん、いかんいかん。長丁場なんだから。 自分がくたばったら相棒に迷惑がかかるんだから。 これ以後は30分で交代というラインを守ることにした。しかし、この決め方は間違いであった。X周ごとに交代と決めるのが正しい。ピットは1周に1回しか現れないんだから。 しかし、同じピットのチームを見ていると 「俺、○分○秒だったよ〜!」とか報告しあったり、すき焼きだか何だかの良い匂いとかが漂ってきて、全くそんな余裕のない「Blue wing」が惨めに思えてくる。 我がチームの主なエネルギー源は、ウイダー in ゼリーやらキットカットやらミニあんぱん、そして屋台のうどんなのだ。 もう、「しらけ鳥」飛んじゃうよ!みじめ〜みじめ〜って! ある時、真っ暗なサーキットを走っていると少し前方で、 声「ぅええッ!?!」 …何?何?! 音「がしゃん。」 オおーっ!接触事故発生!女の人だ大丈夫かな、と思いつつ足は相変わらずしゃかしゃかとマンガ走り。 振り返ると当人は起きあがっていたのでホッとする。 私も怖いなあって思っていたことだけど、インから追い抜いたり、追い抜いた途端に進路にバあーッと躍り出たりというマナー違反のヒト(なぜか後輪の泥よけを取っているヒトに多かった。)がいたのでいつか事故を目撃するだろうなあと。サーキットも照明は全くと言っていいほど無く、各車のヘッドランプと赤色後照灯でコースを辛うじてたどるという程度だったし。 コースの幅もろくに測れずに、おっかなびっくり走っていました。(月明かりでもあれば違ったんだろうけどね。) それから、どうしたことかマシンから降りて押しているヒトなどを目撃しつつ30分交代のルーチンワーク。 途中で、相棒がピットレーンに居ないので 「おかしいなあ〜」 と思いつつパドックに探しに行くと「寝てた」ということもあった。 私も午前2時を過ぎるとパドックで「うつらうつら」としていた。夜更かしはお手の物だけど、疲労と寒さが睡魔を次々に派遣してくるのだ。 ハロゲンランプの電池交換と交代の記録をつけること以外にすることはなく単調な展開が続き、スタートから 11時間、午前4時を回ると東の空が明るくなってきた。「あと少しだ!」 ピットの人たちの眠気を覚ますためか、ラジオ体操の音楽が流れるけど体を動かす気にもなれない。 レインコートを着ていても雨や汗でビショビショになって寒い。 それなのに、なぜか着替える気にもなれずに、ただ震えていた。 雨は時々小振りになるけど、依然として降り続いていた。 午前5時を回ると放送が 「ゴール5分前にピットレーンを封鎖します。これ以後のライダー交代はできなくなります。」 と告げる。 相棒はゴールもRONに花を持たせてくれた。 最後の周回は必死の形相でチェッカーフラグを受けた。 そして「Blue wing」は休み無く12時間の耐久走行を無事に遂げたのである。 ゴール直前の RON。必死の形相。笑ってるんじゃないぞ。 「Blue wing」の記録 ほとんどのチームがライダーを6名用意する中、唯一2名で挑んだ。 (5名未満のチームは、他に4名のチーム(最終結果=373/375位)が1つあっただけ。) 参加チーム数:375 下の表の数値は公式発表です。
閉会式と表彰が終わると各チームは車に乗り込んで去って行った。 RONと相棒は荷物を畳み、急に閑散としてしまったサーキットを後にして徒歩で上更別のバス停まで戻る。 しかし、足の爪を切り忘れていたRONは、その伸びた右足中指の爪が雨でふやけた人差し指の側面をえぐってしまっていた。あまりの痛みに「マジでもう歩けない!タクシー呼ぼう。」 結局、相棒が2人分の荷物を背負ってくれて辛うじてバスに間に合ったのだけど。 「本当に申し訳ない。」 遠征の時は手だけじゃなく、足の爪も忘れずに切ろう!(教訓) 0910頃、ぐっすりと眠りつつ帯広駅前着。 帯広と言えば豚丼!まだ食べたことが無いんだよね〜。去年、池田町で豚カツは食べたけど。 駅ビル内の店を発見し、突入する。 おお、これが噂の豚丼。妙にコショウが利いた薄切り豚肉に甘辛いたれが絡めてある。 うむ。もうちょっと肉が載っていてもいいんじゃないか。 1030 札幌行きの高速バスが出発。これまたぐっすり。 1430頃 札幌駅前BT着。相棒(札幌)邸でシャワーを頂いて、お父さんの運転で小樽見物へ with お母さん。 う〜む、これが一般家庭か。小樽見物も上の空で自分の身の上を考える。いかんいかん悪いクセが。 夕方。相棒と別れて札幌駅前BTから苫小牧行きの高速バスに乗る。見送りありがとう。 2345 大洗へ向けて出航。2等寝台でビールを飲みながら、頂いたカニ寿司を食べる。おいすぃ〜!そういえば北海道のカニを食べた事って無かったな。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5・6日目(札幌・東京) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
お昼前に目が覚める。船内で無為に過ごしていると 1900 定刻より若干早く大洗港に到着した。 バスで水戸駅まで行き、JRで上野、新宿、そして京王線で仙川まで無事に帰還した頃には 23時を回っていた。 以上が、「Blue wing」北海道遠征記です。 天候が良くなくて [大雨の中、駆け回ってる俺ってカッコいい〜] などとどこだかのサッカー少年みたいな考えが横切ったり、あまりの辛さにそんなものは一瞬にして吹き飛んだり。 しかしこの遠征は相棒との見えざる連帯感を刻んだし、将来振り返ってみたときに印象深い記憶が残っていることは間違いなく、人生の金字塔をおっ建てたことに意義をきっと見いだせると思います。 機会さえ有れば、再びこの舞台に立つこともやぶさかではありません。 そして、酔狂な提案に乗ってくれた EPSONZ氏に感謝の意を表して この遠征記を締めくくりたく思います。 ※データ修正:(公式発表) 「Blue wing」総合成績(315/361)位、クラス成績(220/247)位。77周。 |