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「East Side」休刊のこと。

雑記

今から10年以上も前、貧弱な体にテントを背負って無謀な旅を繰り返していました。無謀と言うのは危険だったということもありますが、未熟な行き当たりばったりさ加減も十分に含んでいたことをまとめてのことです。

夏の野営から始め東北での冬の野営を経て、さほどの苦労も無かったことからある程度の経験を得たという自信を持ちました。その後、初めての北海道上陸を冬に、しかも野営しながら凍った湖の上を縦断するという慢心の極みというような計画を立て、実行に至ったのです。

その立案の際に、今はもう無いあるサイトの掲示板で管理人さん他の皆さんの情報提供とアドバイスを受けました。その後管理人さんが編集者の一人として参加し、ある雑誌が創刊されました。これが「East Side」です。

私の北海道冬季遠征は4年間にわたって行い、一定の成果と満足を得たので休止しました。(ちなみに、この事は「のじゅかー旅行記」に記してありますが、大幅な加筆や大量に眠る写真のすくい上げが必要だと思っています。)

その遠征の過程で、管理人さんからEast Sideに手記を寄せて欲しいというオファーをいただきました。自分がろくな文章を書けやしないことは分かっていたのですが、恩返しとして請けました。そして、サロマ湖での撮影とその後の寄稿を経て、East Side 004号に私の記事が掲載されました。

掲載誌が発行された直後は大喜びで人に見せたりしていたのですが、その後の北海道遠征の休止とともに、いやそれよりも早くEast Sideとは次第に疎遠になっていきました。特別な理由は無いですが、サロマ湖に執着した当時の私のスタイルから、得る情報も与える情報もお互いに飽和したのではないかと今思います。

時は移ろってこの6月下旬、ふとEast Sideのことを思い出し、久しぶりにサイトを訪ねたところ、3月に出た024号の案内とともに休刊が告知されていました。私は衝動的に024号と004号を注文しました。

返された発行人さんからのメールには意外にも取材時の礼が添えてあり、編集者であった管理人さんの動向も気になりましたがこの機に訊くことはしませんでした。

数日後に届いた2冊のEast Sideのうち1冊には当然私の記事があり、そしていずれの奥付にも編集者として管理人さんの名前がありました。

【East Side 004号 024号】
East Side 004号 024号

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