1日目(広島・網走) | 2・3日目(屈斜路・洞爺湖) | 4〜6日目(網走・サロマ湖) | 7日・8日目(登別・広島) |
4日目 | ||||||
網走駅に戻ってきた。眠いし疲れているし風呂に入りたいので、早朝にもかかわらずタクシーに乗り、「どこか開いてる銭湯へ行ってください」と言うが、当然「まだどこも開いてはいないしお昼過ぎないとダメだ」と言われる。絶望しながらも頭の片隅にあった次善の策として、取りあえず北方民族博物館へ行ってもらった。 しかし、9時半の開館まで2時間半もあるのだ。風が吹き付ける正面玄関の柱の影に隠れたり、靴下を履き替えたり、タバコを吸ったり同じところをウロウロ歩き回ってみたりしてみて「もう限界だ。困った!」という状況の9時過ぎに出勤してきた職員の一人が、中で待っていても良いと言ってくれたので裏口から入って、既に十分に暖房の効いた館内でこのネタとなるメモを書いたわけであります。 9時半に開館し、そのまま隅から隅まで展示を見学していたらあっという間に3時間が過ぎていた。アイヌを始めとする世界各地の北方民族に関する資料は特に海外に詳しくて大変興味深いものだった。網走では刑務所博物館よりも面白いぞ!funnyじゃなくてinterestだけど。少なくとも各コーナーのビデオは全て観るべきだ! 何かに夢中になっていると時間を潰すのが苦ではないことを改めて確認したので、駅へ一旦戻って水族館のある二ツ岩へ行ってみることにした。水族館はかなり小規模の老朽化したものだったが、飼育されている海生哺乳類は少なくない観光者のツボにはまっているようだった。かくいう私も小さいアザラシが腹ばいで自分の方へ寄ってくるのを見てニコニコしていたのだった。 ニコニコしているといつの間にか日が暮れかけてきたので投宿することにした。うう、いよいよ明日は本番だ。身震いする。初日と同じ宿で風呂に入り、食事を済ませる。この宿の夕食はかなりボリュームがあり、大好きなカキ(殻付きの焼きガキだったような気がする)もいくつか出て「うわー!」状態だったのだが大事な明日を控えて、「生ガキ大当たり」経験者としてはどうしても気後れして、少し残してしまうのだった。もったいない…。全てが予定通りでありさえすれば…。 食事を終えるとShowheyさんから宿に電話があり、明日9時頃になら車でサロマ湖へ送ってくれるというので、朝5時半のタクシーをキャンセルして好意に甘えることにした。タクシー会社を覚えていなかったが網走には2社しか無いらしく、しかも運良くヒットしたので事なきを得た。 そういうことで時間の余裕ができたので、早く寝るはずだったところを変更してビールを飲んじゃったりしながら、出発時間が遅くなるに連れトコロチョー・カンコーカ部隊に発見される恐れが強くなる点を気にした。道庁からの回答も得られていないことだし、厄介なことにならなければ良いのだが…。 とにかく明日は本懐を果たしてサロマとの円満な別れを実現させなければならないのだ! | ||||||
5日目 | ||||||
朝9時過ぎ、Showheyさんが宿に迎えに来た。駅のコインロッカーに不用な荷物を預け、コンビニで固形食料と替えの靴下を買う。車中で近況やキャンプ、去年のことなどを話ながら1007ネイチャーセンターへ到着した。準備をして1010出発する。 湖の上ではスノーモービルが走り回っているし、海の方からは何かのツアーか、子供を乗せたそりを引いた人が数人やって来る。何かとがめられやしないかとビクビクしていたが、考えても仕方がないので桑原さんに別れを告げて海の方へ歩き出す。一団とすれ違い、最後尾の人がどうも観光客っぽくないので身を固くしたが、「こんにちは」と挨拶しただけで何もなかった。 1033 砂州の中で最もキツい起伏を進み、オホーツク海が見渡せる東屋へ到着する。
1049 センターから1300m地点。驚くほど雪が少ないので、アスファルトがむき出しになっている。 1114 第2湖口まで1200m地点。スノーシューのスチール製爪がカリカリとアスファルトをかむ。プラスチック製のシュー本体も削れてしまうんじゃないかと気をもむ。 1135 第2湖口に到着。天気は晴れ。風も穏やか。
1145 同 出発。見慣れた景色だ。 1204 ワッカ到着。湧き水は凍っている。一度、流れているのを飲んでみたいな。 1215 同 出発。 1347 スノーモービルの轍が消える。今年は積雪量がもの凄く少ないので、シューが雪にズボっと埋まってしまうことは少ないが、その代わりに顔を出した植物の枝が絡んでトゲが足首に突き刺さったりしてしまう。
1441 昼食を摂らずに割とハイペースで進んだので体力切れを感じ、早めに設営を行う。明日一日を使って湖口との間を往復できる程度の位置にテントを張れば十分なのだ。案の定、テントを支える2本のフレーム連結点のうち、最後の4点目がセットできない。フレームの1点を雪と砂地に突き刺し、ビニールロープでそのフレームとテント本体を固定する。このテント(コールマン製と思いこんでいたけど、よく見たら似ている名称の別物だった)は氷点下でなくても、4点目のセットが難しいことがある。困ったもんだ。
1538 設営完了。天井のメッシュ部分の半分くらいを内側からゴミ袋でふさいでみるが、ガムテープがすぐにベローンとはがれてしまい、それ以上の処置を諦める。外側からかぶせるように処置する気にはならなかった。一度自分を囲うものができたら、もうそこから出たくない。 1730 乾燥米をお湯で戻して、鮭茶漬けを食べる。食欲が無く、流し込むしか方法がなかった。 地図と主要通過点の記録を頼りに、現在位置を算出する。推定では、既に12kmを歩き、第1湖口まではあと3kmの地点にいることになった。 汗まみれの下着を着替え、寝袋に体を突っ込んで保温体勢をとる。脱ぐときには、その寒さでどうしても声が出ちゃうね。「うおー!うひゃー!さむさむ!うりゃ!はぁ〜」 1825 無風、-3度。 砂州の海側ではなくいつものように防風林を隔てて湖側で設営しているが、流氷がいないせいで海側の波音が「ドバーンドバーン!」と聞こえてくる。可能性は著しく低いが、波に襲われる恐怖感が増す。 時計の針が進むに連れて、気温が体で分かるほどに下がる。息の白さが濃くなったり、顔の痛さが増したりする。特に閉じたまぶたを超えて眼球の表面が冷たくなってくると、その器官の特殊性を考えて怖くなる。油断をすると視界がかすんでくるのだ。ニットキャップをかぶり横になって顔にタオルをかぶせることにする。もはや露出しているのは唇だけだ。 冬の冷たい夜空にくっきりと見える星を眺めるのが好きだけど、とてもテントから顔を出す気にはなれない。 静寂の中に、動物と思われる足音がテントの至近までやってくると「有り得ないが、まさかヒト?クマ?…」と杞憂の心境で震えた。唯一の心支えはイヤホンから流れるラジオの冬季オリンピック中継放送だった。 | ||||||
6日目 | ||||||
厳しい冷え込みのせいで眠りが浅かった。「あと5分…あと5分…」とPHSのアラームを引き延ばしつつも、日の出が近いことを悟り「もはやここまで」と起き上がる。インスタントコーヒーで体を温め、チョコがけクッキーを2つかじり、残りを小ザックに突っ込んだ。 今日の予定は当初湖口との往復だけであったが、「こんな寒いところに寂しく一人でいられっか!」と感じたので「行けるところまで行ってやるからな!」モードにスイッチしてしまった。やはり独りで二晩を過ごすことは叶わなかったのだ。くー、誰か一人でもソバにいたら強気滞在モードなのになあ! ザックからサブザックの部分を取り外し必要最低限の物資を詰め、「突風でバラバラになるなよ…生死に関わるからな」と残されたテントに声をかけた。空は晴れ、風も穏やかなので巨大焼き鳥串(ペグ)で固定されたテントはきっと大丈夫だろう。 テントの周りに鹿と思われる足跡を見つけた。
0622 出発。見慣れた風景だが、やはりどう見ても今年は氷が薄い。怖ろしいので、なるべく氷上を避けて湖畔を歩く。 0820 とうとう念願の湖口へ到着した。地形図で見た砂州中の入り江をこの目で確認して感激。湖口の向こう岸をこの目で確認して感激。「ああ…、2年前は向こう側からこっち側を眺めていたんだよなあ。」 呆然と360度を見回しながら、大げさな叫び声もガッツポーズも無い自分に驚いた。うわずり、かすれる声で「ついにやった、やった…これで終わりだ…」などと安っぽい悲愴感みたいなものを漂わせながら、湖側から湖口、そしてオホーツク海側へと水際をなぞった。 0840 出発。3年前に歩いたルートが今年は、ただの波打つ水面になっていることを確認した。そして、固い氷上だった当時の様子をだぶらせてみたり、その時に感じた水没の恐怖を思い出したりした。 1018 ベースキャンプ帰還。途中で「まさか、テントを見過ごして歩いてたりしないよな…。これは今日の足跡?それとも昨日の足跡?」と不安になった。 1120 撤収完了、出発。往きのペースだと2時間半でワッカに着く計算だ。こうなったら長居は無用、一気に網走まで戻ってやる! 1323 ワッカ。イヤホンでオリンピック関連のラジオ番組を聴きながら歩いたせいか、気が紛れてかなりペースが上がった。でも体はボロボロ。肩も腰も痛い。パッキングが甘いのと体力不足なんだよなあ。後方から自衛隊の輸送ヘリがやってきて砂州沿いに網走方面へ飛んでいった。 1340 出発。まもなく、後ろからスノーモービルが。氷上漁の帰りだと思う。それが過ぎ去った直後に湖側の茂みからキツネが現れてアッという間に去っていった。カメラを取り出す暇もなかったぞ。 1403 第2湖口。さっきの(?)2発のヘリコプターが戻ってきた。何してるんだろう。 1408 出発 1509 東屋のあるT字路 1517 出発 1531 ネイチャーセンター。猛烈な空腹を感じ、温かい食べ物か甘味のある飲み物が欲しいのだが休みの日らしく、誰もいないし、何も売っていない。 1607 栄浦6号バス停。周囲に自販機が無いかどうか、さまようが見つからない。 バスで常呂町バスターミナルへ行く。去年、トコロチョーカンコーカ連に紹介された宿があるところだ。ザックを待合所に置いて、嫌なことを思い出しながら交差点で食堂を探しながらキョロキョロうろうろしていると道の向こう側から声がする。振り向くと、どこかオミズの影がする中年の女性がタバコを片手に 「なに探してるの!」 「ごはん食べたいんですよう!」車が来ないことを確認して道を渡る。 「なに食べたいの?中華?和食?」 「食べられるんだったら何でもいいんですけど…」 「あっちにすし屋があるし、こっちを行くとラーメン屋があるよ。若い人だから途中にあるコンビニで何か買ってもいいよね。」 「あー…なるほど。とりあえずラーメンを目指してみることにします。」あったかそうだもんな。 「どこから来たの?」 「東京からです。」(今まで北海道ではいつもこう答えていたので反射的に言ってしまった。今は広島だよ) 「そう。よくこんなとこまで来たね。」 「ええ、なぜか…。」少しの間を置いてにっこりフェイスで「じゃ行ってきます」と歩き出したが、しばらく歩いてたどり着いた店はお休みだった。「マジかよ!」「待てよ、まだコンビニにたどり着いてない。もっと遠くにあるのかよ…。」空腹でもう歩けないっす。 じりじりと道を戻り、さっきのヒトに会わないだろうな…間が悪いからな…と思いながら交差点を曲がる。幸いなことにその姿は無かった。 すし屋にズンズンと突入しカウンターに座り、もう何でもいいから!と言い出したいのをこらえて「なんちゃらセット」とお酒を頼んだ。客は誰もいない。カウンターの内側にはおじさんと若いのがいる。それに、ああ、よく考えたら物心がついてからすし屋に入ったのは初めてな気がする。「回転」を飛び越えていきなり「カウンター」だ。定価の表示されたメニューが置いてあって助かったぞ…。 暖かい室内と食べ物も飲み物もある安堵感に包まれながら、先に来た酒をあおってネタ帳にひたすら書きまくる。熱燗が空っぽの胃袋にしみるーぅ。そうこうしてると近所のヒトらしい人がやってきてカウンターで大将と話し始めた。必死にネタ帳を書きながら、もはや味の分からない寿司を口に押し込めて酒で流し込んでいるとその大将が 「なに?取材か何か?だったら言ってよ。」隣のなじみらしき人が 「テレビのディレクターじゃないの?ねえ」と話しかけてくる。 (うわー、そうか、こんな寒い時期に観光客なんて来ないんだろうなあー。ましてやいきなりカウンターでレポート用紙に書き付けるヤツなんて明らかにヘンだよなあ。) 「違いますよーう」 「だってさっきから何か一生懸命書いてるじゃない」 「いやいやっ、これは単なる旅行記のメモ…で取材とかじゃないんですよ…」 「?」 ついさっきまで無人地帯を何キロも歩いて来たことをWebで発表するためのネタ帳であることを説明する気力もなく、「何でもないからね!もう放っておいて!」とばかりにボールペンを走らせる。 大将もなじみの人もこれ以上の追及をすることもなく、私は過去にこんなに早く回るサケを飲んだことがあるだろうかという思いでしみる酒と寿司を腹に収めた。 店を出てバスターミナルへ戻り、うっかりすると寝てしまいそうになるので待合室をうろうろしながら網走行きのバスを待つ。 乗客は自分だけ。うとうとしながら網走駅前で降りて、札幌行きの夜行特急に乗る。ようやく安らぎの時が来たのだ。 |
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